日記


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2004.2.3
本当の車椅子版サルサをやってみたい♪...。

 くまもとのサルサ好きが週末になるとぞろぞろと何処からともなく集まる某処がある。知っている仲間は”あ〜、あのお店ねっ!”っていう声が聞こえてきそうだ...。ホセも結構この場所が居心地が良くて仲間と酒を酌み交わしたり、踊りにきているBONITAと踊りおしゃべりして過ごすのを何よりも楽しみにしている。このお店に出入りして、もう5年くらいなるであろうか?当初は、スペイン語を学ぶ仲間と夕食をしたりしていた処だった。...けど、ある時を境に状況が少し変わった。ある晩仲間に連れられて週末のこのお店に行くことになった。”とにかく聞いてて楽しいし踊りたくなるし<これがサルサを知るきっかけに...>、スペイン語の勉強にもなるからと...”連れられて行った。そうは云っても当時はまだまだサルサを踊る仲間は極端に少なかった。なんとか身につけて楽しみたいと必死になって踊っている仲間が、今の熊本のサルサを引っ張っているAさんだったりBさんだったりしてたのだ...。

 サルサを聞いて感じて身体を動かしてみたいと本気で思ったのは、メキシコとペルーで生のサルサイベントに行ったときだった。南米では、ステージに生バンドがいて、その前にサルサボーカル、その前に大きなダンスステージがあるのだ。いやがおうでも”踊らにゃソン”ていう雰囲気で会場が一つのハーモニーとなって自然に時間が流れていくのだ。ホセも時間も忘れて踊り明かしたのが懐かしい。

 どうもそれからホセの人生の1ページに”サルサ”という音楽が登場したみたいなのだ。男と女がサルサ音楽を通して一期一会の激しい踊りを繰り広げていき、それとラテンの軽快なテンポに乗せられるとどうなっていくのか、本当に毎回のENTRYが毎回違って感じるのだ。これはハマル♪

 ただ、ホセはここで大きな壁にぶち当たってしまった。自分が車椅子で来ていたことを....今更ながら。相手は健常者の女の子。彼女たちは普通のサルサは分かっていても、車椅子の相手とどう踊っていいのか、とまどってしまっていたのだ。ホセも車椅子サルサは知らない。”こうなったら踊れる範囲で踊ってやる”と、前で踊る方法、横を使った方法、廻る方法、リズムと車椅子の動きを考えて、これまで独自に踊ってきた。今では彼女達の手をぐいっと引っ張って、ホセ版サルサダンスを踊って楽しむのだ♪サルサと聞けばサルの様に”ウキャ、ウキャ”と現れ、ホセダンスをするのだ♪これがホセ流サルサを100倍楽しむ方法だ。

 ただ車椅子の構造上、前と後ろに車輪がある。踊りは大きく制約される。その上踊っている最中、リードするホセが女の子の足を踏まないような動きをしてあげないといけない。廻すときも身長差がある為、どうしても彼女が腰を中腰にして廻らなくてはならない...。なんとかならないだろうか?基本的な車椅子版サルサがきっとあるはずだと、結構真剣に悩んでいた。

 ”人間もがけばなんか解決策が見えてくる”っていうお偉いさんの言葉があったかどうか定かじゃないけど、あるんだね〜♪こんなことって..。♪実は昨年WEBを見てたら、東京で車椅子サルサを教えてる先生がいるのを見つけたんですよ。このときは、やったぁ!ってな感じ。じつは近々上京したときに、その先生に教えを請おうと計画中♪これで車椅子版サルサの基本が学べると今からワクワクしている。

 今、夢は大きく膨らんでいる。サルサを愛してやまない、踊りたいけどどう踊っていいのか分からない多くのホセのような車椅子の友達と健常者のダンスパートナーが、生涯かけてサルサダンスの楽しさを追求していければいいなぁ。それと得意?の英語&スペイン語を使って、サルサの本場、NEW YORK、LOS ANGELES、当然CUBAにも...、世界のサルザ好き車椅子ダンサーとの大きな交流&世界的な展開を実現したいものだと”ムフフッ!”と思っているのであーる。今日は☆節分☆鬼は外、福は内、”豆まきはやった?”

2003.4.7
メディア関係者の行動に最近思うこと...。

 某大国のイラク攻撃のニュースが日本のメディアではトップニュースで報道されている。どの放送局も金太郎飴みたいに同じことを繰り返し説明する。本来のジャーナリストが目指す主義の貫かれた報道ではなく、品性のかけらもない三流の報道しかできない骨のないメディア集団がなんと多いことか...。生命の重さを度外視して、ただひたすらに某大国さんや某国さんの凄惨な争いだけを報道している日本のメディアに落胆を隠せない。この瞬間にも爆弾を落とし、罪もないイラクの民衆が苦しめられている。戦争を憎み、苦しめられている人たちを第一に考え行動し同苦するジャーナリストがいかに少ないことか?

 思うのだが戦争を仕掛けた某大国が莫大な戦費とその後の戦後復興に多額のお金を使って望もうとする、その相反する行動の滑稽さに大きなため息しかでないのは私だけではあるまい。心に深い傷を負わせられ、逆に憎悪を増長させられたイラクの民はこのままで心の平成を保てるだろうか?答えはNOだと思う。アラブの民衆にあらゆる面でさらにアメリカに対し不信感を募らせただけにすぎない戦争に成り代っていることに、今後の第二、第三のフセインが台頭してくるのではないだろうか?

2002.9.24
車椅子ダンスのことで...。

 11.2に全国車椅子ダンス競技大会に出場することになった。今はその出場の為にダンスパートナーと猛練習をしているところである。5月から始めた車椅子ダンスだが結構いろんな踊り方があって面白いのである。ワルツ、タンゴ、チャチャ、ルンバ、サンバ、などなど。バスケットやってた頃からそういうジャンルがあるとは聞いていたがまさか自分がハマッてしまうとは思っても見なかった....。
 今回、出場するのは初心者部門。モダン競技とラテン競技があるようで、僕らはモダン部門でワルツ曲とタンゴ曲に出場することになった。今は、ワルツの動きを中心に練習している。全国大会参加という、その話しを聞いて次の返事は”やろう”と行動を起こしていた。練習をして少しでも多くしていこうと確認しあったので、あとは練習あるのみ。昼間は仕事もあるので、今は本当に大変だ。でも何か充実感はある。どこまでやれるか楽しみだ!
 皆さんも秋を感じながら、何かを始めてみませんか...

2002.9.11
9.11テロ事件を思う...。

9.11テロ事件から1年...。あの日は、生中継を仕事場のテレビで見ていた。2機目が突っ込んだのは、今でもハッキリ覚えている。俺にとってニューヨークは2度も訪れた場所であり、何か特別な存在なのだ。ニューヨークは、事件の起こる10ヶ月前に行ったばかりで、ワールドトレードセンタービルも(中に入りこそしなかったが)、タクシーの中から首が痛くなるほど見上げないと見えない巨大なビルだったことを今でも覚えている。
 今、改めて思い起こすとあの事件で3000人以上の尊い命が一瞬にして奪われたことにとてもやりきれなさを感じる。あの時ビルが燃えていて崩れていく状況を、ハリウッド映画の撮影が行われているとしか思えてならなかった。これが現実なんだと理解できるのに俺には少し時間が必要だった。親友のアメリカ人:バーンズもニューヨーク出身であったため、無事な事をメールで確認できたときは本当に安心した。
 ブラウン管を通して複雑な気持ちになったと同時に、人間の中に潜む憎悪や復讐心をいかに自分の中では作らない行動としていくのか....。やられたからやり返すでは駄目な事をいかに実感して行動に移していくのか。それがアメリカの進むべき新しい道じゃないのか。武力では解決できないんだという堂々とした姿勢を今こそ日本は示すべきではないのではないだろうか?
 今こそ為政者は賢者に耳を傾けるべき時だ。あらたな9.11事件を引き起こさないためにも...。
2002.9.8
新たな始まりを感じる....。

先月は、ラテンのイベントに(それも生で)3回も触れるコンサートに行くことが出来た。ラテン好きな人間にはたまらない企画ばかりで未だに余韻が残っている。それと同時に好きなものには、常にアンテナを張って情報をもっておく事の大事さも感じた。せっかくいいラテンのグループが来てても、チャンスに恵まれなければ何にもならないのだ。サルサを知るようになって、もう3年目を迎える。
Gloria Estefan,Shakira,Elvis Crespo,Ricky Martin,Illegales,Thalia,David Bisbalたちラテンの仲間やサルサの友達たちが俺自身のパワーの源になってることはいうまでもないけど、このままいつまでもラテン文化の受容者の位置にいてもいけないのではないかと最近つくづく感じる。このサイト上での情報発信者としてもう少しラテンのことを積極的に働きかける自分に一歩近づこうともの凄く感じている。何か出来るはず....。まずは出来るところから一歩づつ。
    ホセ