12/18(月)
 5時早朝、寒いと思いきやちょっと暖かい。まだそこここで明かりが見える中、ペルーのリマ空港に到着!飛行機のスタッフに車椅子を抱えてもらいながら、タラップを降りていった。
ダニーは手伝いながらも、「エムペラドール デ インカイコ=インカ皇帝」といってみんなを笑かしていた。ペルーの地にはじめて一歩を記したとき、”俺はやってきたぞ”と心のそこから嬉しさがこみ上げてきた。

リマ空港で


 長い通路を抜けて、入国審査場に行く。審査を受けている壁に熊本で見たような写真がかけてあった。
日本とペルーに100周年記念に熊本美術館で展示された「シカン遺跡展」の写真が掛けてあるではないか!
荷物を受け取って、税関チェック。青と赤の信号があって利用者がボタンを押し、青が出ればそのまま通過!
赤が出れば、チェックされる。面白いなと思った。ダニーによると、南米ではよく見かけるものなんだって...。
 空港を出るとダニーの長兄さん、カルロスさんが車で出迎えてきてくれた。
予定より、1日遅れの到着。でも、カルロスさんはとても綺麗な日本語で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
彼は、今、日本語を勉強しているのだそうだ。道はそう大きくはないが、とても乾燥している。埃がすごい。
家がレンガでつくられている。2階建て途中でシートをかぶせてある家もある。
ペルーでは、家はお金を持ってれば持っているほど、上に部屋を作っていくのだそうだ。
リマは、年間に一日か二日しか雨が降らないので、そのままにしておいてもいいのだそうだ。
 8時にダニーの実家に到着!お母さん(ルイサ)と、妹さん(ルイサ)にあう。
朝食をありがたく頂く。朝早く着いたので、ちょっと休むことにした。
カルロスさんが急に俺の髪の毛を見て、「髪を切りに行こう」と僕を車椅子に乗せて、道向かいの床屋さんに連れて行った。
自分の店でもないのに近所ということで、店の人も快く場所を提供してくれた。
髪を切りながらカルロスさんは、短くなった僕の髪形を見て「うんこれでOK」と納得していた。
ペルーは、日本と違って今は夏真っ盛りなのだ。
 すっきりした頭でセントロまで行く。ダニーがリマに帰って真っ先による、セビーチェのおいしい店にお昼を食べることに...日系の方が経営するお店で扇風機を浴びながらセビーチェとインカコーラを飲んでいると、お店の一角で音楽を生演奏してくれた。どういった曲なのかわからないけども、そのなかで目にとまった楽器があった。木の椅子で後ろを丸くくりぬいたカホンという楽器。これがいい音がでるんだなー!なんか欲しくなった。
 おなかがいっぱいになったところで、プラサ・デ・アルマス、カテドラル(ここにピサロが眠っているのだそうだ)、サンマルティン広場に行った。全て歴史の本ででてきたものを身近に見れるなんて...感動しっぱなしだった。郊外で大きなスーパーマーケットに行く。熊本でいえばクリスタルモールみたいな大きなショッピングモールだった。そこで、カルロスさんとスポーツ用品店に行った。ペルーにもプロサッカーチームがあって、ダニーとカルロスさんはアリアンサファンとのこと。OK、じゃ俺も今日からアリアンサファンになろう...で、アリアンサのユニフォームを買った。ラウルチームのも買った(でも、カルロスさんはどうして買うのか理解に苦しんでいるのか..”わからなーい”と連発していた。)一度ダニーの家に戻った。
 20:00ごろ、ダニーのお姉さんドリスの家に行った。旦那さんのマルコさん、愛娘のシンティアちゃんも僕らの訪問を喜んでくれた。
マルコさんは学校で体育を教えていて、大のクリスタルチームファンみたいだった。俺が着ていた、アリアンサが余り気に入らないみたいだった。
クスケーニャを飲みながら、ダニーはいろんなことを話していた。おいしい食事で本当にもてなしてくれた。ほんとにおいしかった。
1:00過ぎ、ダニー宅に到着。明日早いので、すぐ眠った。

セントロで(リマ市) マルコさんの家で




12/19(火)
5時過ぎ起床、早い食事をとる。食事を終えてリマ空港へ。
今日からカルロスさんと一緒に同行する。行き先は、イキトスというアマゾン地帯の町だ。
実は、今回のペルー旅行は、クスコからマチュピチュに行く予定だったのだが、日本以上の厳しい寒さに僕が耐えられないのではないかと、さかえさん、さがらさんが行き先を変えようとダニーと話した結果、急遽アマゾン行きが決ったのだった。
クスコ行きのチケットも、宿泊先もキャンセルしてぼくの為に行き先を変えてくれたのだ。「ほんとうにすいません!!」ペルー国内線の待合室で、カルロスさん、ダニーさん、さがらさん、さかえさんと俺とで、イキトス行きの飛行機を待つ。隣の待合室は、クスコ行き、アレキパ行きの人たちがいる。本来は、こちらの飛行機に乗るはずだったのだが...。
このときほど、もっと体を鍛えなければ思ったことはない。次回は実現するぞ!!
8:00、九度目のフライト。アマゾンへVamos!!
国内線エアバスのせいかプロペラ機の150人位の乗客しか乗れない小さな飛行機だった。スチュワーデスもラテン人だけあってナイスバディ。ラッキーだった。いっしょにサルサ踊りませんか?乾燥した大地から、雲が多く鬱蒼としたジャングルの上を飛行機は飛んでいた。テレビで見るあのアマゾンのジャングルの上空をいま僕たちは飛んでいるんだ。
気流の影響からかとても揺れる。このまま墜落しないことを祈りつつ...。9:30、イキトス空港へ無事到着!滑走路が一本しかないせいか、着陸してまた滑走路を引き返して飛行場に向かう。横には、何年前に使っていたのか分からない飛行機やセスナ機がスクラップのままで放置されていた。扉を開けて、タラップをおりて行くうちに日本の梅雨の時期のような蒸し暑さが襲う。俺は何か元気になった。

イキトス空港で(アマゾン地域)

 空港を出て、タクシーと荷台付のオートバイが客を待っていた。
車に乗り込もうとすると突然のスコールが降ってきた。開けていた窓を閉めようとするが窓のノブがない。運転主席の窓ノブをはずして、助手席、後部席と順に閉めていった。途中で雨が止んで、ひたすらセントロまでいく。道々には、ビーチサンダルを履いて、半袖半ズボンの人々が多くいた。東南アジアでも来たのではないかと見間違えるほど蒸し暑く、且つ似ているのだ。
 セントロに着く。とりあえずお腹が空いていたので、レストランで食事をする。アマゾンだけあってフルーツがとてもおいしい。マンゴーなんかも大きく安いのだ。僕はカルロスとクスケーニャ(ペルービール)をのむ。暑いのでとてもおいしい。ここイキトスは、熱帯地域なので年中こんな気候だそうだ。
11:30、レストランの裏が今日泊まるホテルに行った。目の前に流れる川がアマゾン川に注ぐ川だそうだ。その向こうにはジャングルが果てしなく続いている。部屋はクーラーが入ってとても気持ちいい。そのまましばらく昼寝をした。14:00頃、カルロスさんと一緒に買い物に行く。何か食べたり飲んだりするものが欲しかったのだ。
車椅子でどれくらい行っただろうか?店に入って、クスケーニャとクリスタル、何かフルーツを買った。日本から来ている僕に店の人が来年のカレンダーをくれた。(いまもそのときのカレンダーがぼくの部屋に掛けている。日本のと違ってちょっとみにくい。)
 ホテルについてビールを飲んで、ホテル前の歩道をカルロスさんと散歩した。イキトスの町に夕日が沈む。アマゾンのジャングルの風景ををゆっくりと闇にけしていきながら...。
19:00にレストラン2階で夕食をする。ダニーの姪のクラウディアさんが来ていた。彼女はイキトスの出身で17歳。今、大学に行くために受験勉強中とのことだった。豚肉を焼いたのとバナナを焼いた食事が出された。でも食べてみるととてもおいしかった。目の前に公園があって、そこではクリスマス前でデコレーションされた電球で町はとても賑やかだった。
クラウディアさんに町を案内してもらって、サルサのイベントをしているもっと大きな公園までオープンバイク3台で行った。もちろんクラウデイアさんといっしょに。
そこでは、クラウディアさんのお母さんと親戚の方が見えられていた。ダニーもこの人たちと再会したのは10数年ぶりとのことだった。クラウディアのお母さんはとても日本に行きたがっていた。日本に興味を持っているらしくいろんなことを聞こうとしていました。ビールを飲みながらサルサを踊る。写真を何枚も撮った。ここがアマゾンの町だなんて...、ひといっぱいいるじゃない?花火が終わって、僕らもオープンバイクでホテルまでかえった。24:00、ホテルに戻り就寝。

ホテル前で(イキトス) 豚肉と焼きバナナ料理



12/20(水)
8時過ぎ起床、ホテルの1階でクラウディアとお母さんと一緒に食事をとる。今日は、1日イキトスの観光をする。10:00アマゾンツアーに出かけるため、オープンバイクで移動。昨日もこの乗り物に乗ったのだが、とても快適!!何でみんながだれでも利用している意味が分かったようなきがした。本当に快適なんだ。
アマゾン川をボートで行くので、渡船場でボートに乗り込む。車椅子ごと階段をみんなが手伝ってくれて、なんとかボートに乗り移ることができた。このツアーを添乗してくれるのはラウルさんという方。熊本でも見かけるような日本人の顔をした方だった。アマゾン川の支流をしばらく船で行くと、目の前に横に流れる馬鹿でかい川にでてきた。

カルロスさんと一緒に(ボートでアマゾン川を行く)

支流と違って、茶色したよくテレビで見るあのアマゾン川の色なのだ。ラウルさんに聞くと、ここからがアマゾン川の本流に入るのだそうだ。船の近くで水しぶきがした。キャットフィッシュという体長3Mは有にあるオオナマズが出迎えてくれたのだ。はるか彼方には、川イルカが飛び跳ねている。スッゲー、やっぱここは。ワイルドすぎるーっ!!!
アマゾン川というとブラジルというイメージがあるが、実は何千キロもかかって大西洋に注いでいるのだそうだ。
ペルー国内は、アマゾン川でいえば上流地域。でもその上流域に日本の貨物船が止まって物資を積んでいたのには驚いた。これで川なんだ。僕は海にしか思えなかった。イキトスから50分ほどアマゾン川を行って、ようやくジャングルにあるロッジまえの渡船場についた。川に手を入れたらピラニアがくるのと聞いても、ここはまだアマゾン川も上流なのでいないといわれた。ちょっと、安心した。

.本物のジャングルの中を歩いて ハンモックでちょっと休憩 オウムくん....


船着場からジャングルを抜けて広い場所に出てきた。ここが今日泊まるクマセバ・ロッジだ。宿台帳なるものに名前を書く。
圧倒的に南米の客が多いのだが、ヨーロッパ人やアメリカ人、日本人も名を連ねていた。ジャングルなので蚊にかまれることを一番注意しなければならないこと。でも幸いなことに俺はここでほとんど蚊にかまれることはなかった。
ロッジの食堂で昼食をとる。ここは電気がない。夜はランプを灯すのだそうだ。僕らはジャングルの密林の中で、森の奥から聞こえる動物たちの声を聞くのだ。それ以外にはなにも聞こえない。
食堂横にハンモックがぶら下げてあった。僕も迷わずハンモックに寝てみた。寝にくいかと思ったら意外と快適だった。大きなオウムが僕らのハンモックの紐を伝って上手に降りてくる。人懐っこくて、しきりに餌を欲しがっていた。写真を何枚も撮った。
 その後、準備をしてさっきのボートに乗り込んで、更なるビュースポットに向かう。どうやら着いたようだ。船を止める木が何本かあるだけで、ラウルさんは手馴れたようにロープを巻く。

動物を見せてくれる場所で(後ろはアマゾン川) ニシキヘビを首に乗せて(重くて生ぬるかった...) 手には猛毒・タランチュラが...


船渡場などなくいきなり土手を登っていく。そこにはインディオの子供たちが出迎えてくれた。ぼくはラウルさんに背負ってもらって、その目的の場所に行く。そこで仕事をしているインディオの家族が小屋から動物を取り出す。
ボア(ニシキヘビ)、アナコンダ、ペレソソ(ナマケモノ)、象カメ、タランチュラ(毒クモ)と、ボアはそれぞれの首に巻く。さかえさんは、キャーキャーいって大変。さがらさん、大丈夫。
僕は平気だったが、ボアがヌメヌメしてズッシリと重かったのはいまだに覚えている。タランチュラも手に置いてみる。ここで刺されてたら、日本に帰れなかったかもしれないね...。
いま考えると結構そんなことを平気でやっていた。蛇を酒付けした酒を飲ましてくれた。結構強かったけど、カーっとしておいしかった。これをのむと精力増強するのだそうだ。道理で子供が多いわけだ。ナルホド...。
 次に向かったのは、インディオの原住民が住む集落にいくのだ。ここも船で行って土手を登る。ここは、さっきの子供たちと違ってみんな裸だ。アマゾンには裸族がいると聞いたが、本当にいるとは...。ここも子供がたくさんいる。お父さん、お母さん、一番上のお兄ちゃん(11〜12才)は、上半身は何もつけずに腰ミノだけをつけている。それ以外の小さな子供たちはスッポンポン。でもそれが彼らにとっては、ふつうのスタイルなんだろうな...。なんか複雑な心境だった。お父さんが、大きな吹き矢を持ってきてくれた。的をおいてこれに向かって撃てとジェスチャしている。OK、じゃ吹くよ!うまく的にあたったようだ。お前すごいたいしたもんだとほめているようだった。
一番上のお兄ちゃんが片言のスペイン語で、自分たちが作った貝の首飾りを売ってきた。俺は、買ってあげた。帰りはインディオのお父さんが、俺を背中にしょってボートまで乗せてくれた。そんなに軽くはないのに足早に僕を船に乗せてくれた。お父さんに10ソルあげた。本当にありがとう。そこからロッジへボートで戻った。雄大なアマゾン川をひたすら進んでいく...。
 17:00ごろ、ロッジに到着。ちょっと疲れたのかハンモックで眠った。目がさめたら当たりはもうまっくら。
19:00にランプの明かりを灯して夕食。こんなジャングルでもインカコーラが飲めたのは良かった。ペルー人の観光客のかたと夕食を共にする。僕らが日本人だとあって、フジモリさんの話しになったが、彼女たちは、「フジモリさん個人が悪く、それを取り巻く日本人全員は悪くはない」といってくれた。僕らは歓待され、ビールまでご馳走になった。ムチャス・グラシアス!!

夕食をみんなで(ランプの明かりのみで)


ランプの中で、楽器片手に歌を披露してくれた。本当に静か過ぎるくらい静かだ。聞こえるのは虫の声と動物の声だけなのだ。
部屋に行くまでの長い廊下は、木で足場を作りそこに板を通した簡素なつくり。もちろん電気などないので、ろうそくの火で廊下を照らしてくれたいた。カルロスさん、ダニー、俺は一番奥の部屋で。さかえさん、さがらさんは隣の部屋で。休むことにした。22:00、本当に何もすることがないので早く寝ることに。ジャングル泊。一生に一度あるかないかなんだろうな......?



12/21(木)
5時過ぎ起床、ジャングルはもう少しで夜明けだ。
本当に静かだ。でも、蒸し暑い。目がさめたら、ダニーが日本の”じんべ”を着ている。
俺は寝ぼけた状態で彼を見たので、もう日本に戻ったのではないかと錯覚した。
6時に準備をして、ラウルさんが僕らを案内してくれた。そこは沼だった。ジャングルの中にひっそりとある沼なのだ。
朝もやの中をラウルさんが漕ぐボートの音だけが聞こえる。花が沼を隠すように数え切れないほど浮かんでいて、時々そこをトンボが飛んでいる。向こうの方には、大きな蓮の花が咲いている。こんなに大きな蓮の花を見たのははじめてだ。
どれくらい船に乗っていただろうか、ほんとうに原始の森がここにはどこにでもあるのだ。神秘な世界を魅せられて僕らはロッジに戻った。
もう朝ごはんを作っているみたいで、それまでロッジ前の庭で待つことにした。森の奥から僕らを引き寄せるような動物の声が聞こえる。思わず手にもっていたラジカセで録音をした。
7時に朝食。みんな元気だ。ご飯を食べながら音楽を演奏してくれた。レストランの端にマングアレという木をくりぬいた打楽器があった。ゴムの樹脂を木にまいた二つのスティックをもって、ジャングルに住んでいる
インディオの人とコミュニケーションをするというのだ。15mくらいの木を切り、3〜4日かけて作るのだそうだ。この打楽器は、男性用・女性用とあるのだそうだ。

ラウルさん、ありがとう! クラウディアさん、フローラさん、お母さんが見送りに
(イキトス空港で)


いよいよロッジを出発。お世話になった一人一人に挨拶をし、アマゾン川をみながらボートにのる。
ラウルさんとスタッフの人が先に乗り、僕らが後に乗り込む。
8:00イキトスに向かう。ゆったりとしたアマゾン川を朝もやを突き抜けてボートが走る。川幅は、5〜600Mは余裕でありそうだ。
どれくらい乗ってただろうか。眠ったままで目がさめたら、もうイキトスの渡船場まで来ていた。
ラウルさんとはここでお別れ。本当にお世話になりました。また、来ますね。絶対。
ホテルの近くのレストランで何か食べる。レストランのウェイトレスにスペイン語でしゃべろって、言う。
かたことのスペイン語で言ったら、彼女もニコッと笑顔を返してきた。もちろんダニーが俺を冷やかしたのはいうまでもない。
食べ終わって、車に乗り込む。”花王”(日本の花王株式会社)のロゴの入ったタクシーにのって、空港に向かう。
空港に着いたら、一足先にクラウディアさんとお母さん、クラウディアさんのお姉さん・フローラさんが見送りに来てくれた。
クラウディアさん、とてもかわいい女の子だった。また来るねと何度もいった。
飛行機に乗り込む直前にハンモックを買った。意外と安かったのには驚いた。
11:00過ぎ、十度目のフライト。楽しかったアマゾン・イキトスを飛行機は無事、離陸した。疲れがたまっていたのか、僕らはリマまで眠ってしまった。
12:30過ぎ、リマ空港安着。ダニーの家まで向かう。ダニーのお母さん、ルイサさん、ラウラちゃんが出迎えてくれた。
ゆっくりするように、お母さんが言った。夕方5時過ぎ、みんなで家をでる。今度は、ダニーのお母さんとラウラちゃんも一緒だ。
ラウラちゃんは、ダニー家の次男・ジョニーの娘さんだ。今12歳。日本でいえば小学6年生。ペルーは、今小学校は長い休み(3ヶ月ほど)に入っているのだそうだ。
リマのセントロまで、みんなでタクシーで行く。バスセンターらしき建物で、プンタ・ネグロまでバスに乗っていく。
威勢のいい車掌さんの声で、自分の乗りたいバスに乗り込む。20:00か21:00にセントロを出発した。
僕らは、プンタ・ネグラまで乗っていった。もう21:00過ぎだろうかバス停で降りて、夕食をとった。
22:00過ぎ、遅い夕食。セビーチェはおいしかった。ビールもおいしかった。
食後、オスタル(日本でいう民宿みたいな)を経営している、ダニーの親戚のパブロさんのところで宿泊。
波の音が聞こえる、星が瞬く綺麗な場所で、ゆっくり眠る。疲れていたので、すぐに眠ってしまった。



12/22(金)
8時か9時ころに起床。隣ではまだダニーが寝ている。
シャワーを浴びて準備をして、1階のパブロさんとともに朝食をとる。
ダニーがここを訪れるのも久しぶりみたいで、ダニーのお母さん、ラウラちゃんもパブロさんといろんなお話しをしていた。
食事が終わって外を見てみると、真っ青な大空とぎらぎらと光る太陽が出迎えてくれた。
ここペルーは日本と違って、今、”初夏”の季節なのだ。パブロさん一家とお別れして、バスでサンバルトロ海岸へ向かう。

市場にて 後ろは太平洋(サンバルトロ海岸で) 泳いじゃった!

途中、市場に寄ってそこで食事をする。珍しい果物がたくさんあった。インカ・コーラを飲んだ。バスで移動。右側の車窓には、太平洋が延々と見渡せる。サンバルトロ海岸へついて、海岸まで徒歩で移動。海岸とはいえ、崖道をゆっくり降りていかないと浜辺には行けなかった。水着に着替えて、ダニーとカルロスさんに抱えてもらって水際まで行った。水はまだ冷たい。僕も泳いだ!?
向こうでは子供たちが遊んでいる。ラティーナの綺麗なお姉ちゃんもたくさんいる。ダニーに感謝!!
浜辺のすぐ上にあるレストランで、セビーチェとビールで乾杯をする。とても暑いがとても最高だった。また、来たいな。ここの海岸に...。
バス停まで、タクシーで行く。僕らが日本から来ていると話したら、”フジモリは日本のどこにいるんだ?”と聞いてきた。僕は、分からない。といった。ここペルーに来てから、何度となくこのての質問を受けた。国民も気にはなっているらしい...。それに運転手は、ラウルチームを応援していた。僕らはアリアンサだというと、”何いってんだ、ラウルが一番さ”と言い出した。どうも日本人の俺にラウルを応援したほうがいいぜといっていたが、降りる間際、”いや、アリアンサが一番さ”というと、猛スピードで行っちゃった。怒らしたかなー?
 後はバスに乗ってリマまで向かう。セントロに着いたら、ダニーのお母さん、ラウラちゃん、カルロスさんとここで一旦別れる。
ダニー宅に到着。さかえさん、さがらさんは、今日日本に帰らなくてはいけない。今まで共に旅行していたお二人と別れるのは一寸辛かった。
 みんなで夕食を頂く。夜中に飛行機は飛び立つ。10時過ぎ、ダニー宅を出発。僕は、ダニー宅でお見送りした。また、熊本でお会いしましょうと約束をして...。
ダニーから聞いたら、一緒に見送ったカルロスさんは、涙が止まらなくて何度も何度も泣いたそうだ。ダニー宅に帰ってきたときは、とても辛そうだった。ダニーが近所に住んでいるアウローラさんという女性を連れてきた。彼女の家はダニーの家近くの道路沿いに中華料理店をしている。家ではダニーの帰宅と同時にドリスさん、マルコさん、お母さん、ドリスさん、ラウラちゃん、アウローラさんと僕とで乾杯をした。サルサを聞きながら、ニューヨークのこと、メキシコのこと、イキトスのこといろんなことを語った。
日焼けしたせいか、体がとても痛い。疲れたので、0:00には寝た。



12/23(土)
さかえさん、さがらさんが日本に帰られて、俺一人ダニーの家にもうしばらくいることになった。昼頃に起きた。
ダニー、お母さん、ラウラちゃんと共にセントロまで行った。午前中にリリーさんとルイスに連絡をとっておいたので、後で会うことになるだろう。セントロでお母さんとラウラちゃんは車を降りて買い物に行かれた。ダニーと俺で、まずはルイスの家に行った。ルイスはとても元気そうだった。
 日系のルイスの家はとてもいい家に住んでいた。日本食を振舞ってくれてルイスにとても感謝した。お兄さんとも会った。以前熊本にも来られたとのこと。さよりちゃんもペルーに来たときここにきて泊まったみたいだった。家族の人に挨拶をしてルイスの車でドライブをした。リリーさんと再会。妹さんも一緒に来られていた。
 皆とは1年ぶりの再会。ミラフローレスの恋人岬に連れて行ってもらった。恋人岬だけあって恋人がたくさんいた。日本でたとえていえばさしずめどこかにあたるだろうか?
 その後、日本ペルー会館に連れて行ってくれた。ルイスのおじいちゃんの写真がある熊本県人会の部屋に連れて行ってくれた。今年で日本人植民者が移住して100年目になる。ペルーはそんな昔から古いお付き合いをしている国なのだ。熊本からもこんなに行ってらっしゃるとは驚きだった。他にも、九州一円、沖縄等いろんなところから来ているのが分かった。
一階の日本レストランに行く。店の人はペルー人だが、お客さんは日本人のかたが多くいた。テレビではNHKニュースを放映していた。
僕は緑茶を頼んだ。おいしかった。
 その後、閑静な住宅街のある一角の中にある、日本大使館公邸に行った。数年前、この大使公邸にゲリラが立てこもった。日本でも有名になった、あの大使館公邸なのだ。今は、中を伺うこともできずに、四方に高い壁と警備塔、入り口は警官がたくさんいた。ダニーは、大使館前のイタリアンレストランを指差して、実はここの地下を掘って突入したんだと言っていた。もう二度とあんなことが起きないように心の中で祈り願った。その後、リリーたちとは別れた。本当にありがとう。
 今度はロシオの届け物をロシオの家族に渡すために、ルイスの車で家を探しに行った。あっちこっち探して見つけたものの留守だった。
ルイスとはここで別れた。またの再会を約して...。ありがとう、ルイス!!
ダニーと僕は、ミラフローレスまで歩いていき、海岸沿いのショッピングセンターに行った。崖の地形をうまく利用して作られたショッピングモールでクリスマスだけあって、とてもにぎわっていた。そこに着いたときは、もう夕方もう少しで水平線に陽が沈む頃だった。ダニーは僕に言った。この太陽を日本でもこの時間に見ているんだ(日本はこのとき、翌日の8時前くらい)と...。
 ゆっくり日が沈むこの光景が今でも僕の眼には時々よみがえる。店は一つ一つがとても綺麗で、熊本でいうクリスタルモールみたいなセンターだった。僕は、インターネットCafeで時間をつぶした。
 どれくらい待ったろうか、ロシオのお母さんと弟がショッピングモールに来られた。約束の荷物を手渡した。ダニーも一安心したみたいだ。それから僕らはそこを後にして、ダニーがよく行っていたレストラン街に行ったり、おじさん、おばさんたちが踊っている広場にいったり、クリスマス前のリマの活気を肌で感じた。家に帰る。もう何時に帰ったかおぼえていない。

大統領府前で(リマ市)

夜中、アウローラを誘って、三人で近くのディスコに行こうとしたがあいにく彼女は忙しくいけなかった。二人で行った。サルサを生で演奏して安いビールを引っ掛けて踊る。土曜日の晩だったので、みんなとても元気そうだった。熊本にあるタパスとかと比べものにならないほどの規模で、おおきなダンスホールといった方がいいかな。そんな店をはしごして、露店でちょっと食事をした。インカコーラがおいしかった。夜が明ける一寸前に家に帰った。朝6時に寝る。



12/24(日)
10時に起きる。洗濯をしてその後食事。家の裏の公園でサッカーをしていたので観戦する。高校生位の子供たちが、試合をしていた。
パスがとてもうまかった。そのあと公園横のインターネットカフェでインターネットを楽しむ。セルジオやクラウディアに手紙を書いた。
パソコン自体はさほど新しいものでもなかったが、身近にインターネットをできるのはありがたいことだ。
もうひとつ驚いたことだが、アメリカの空港、メキシコの空港等では、低料金でインターネットメールができることだ。これは、日本の各空港や他の場所でも利用できるようにすればいいのではないかなと思った。昼過ぎにクリスマスの食事の準備をするために、Metroというスーパーマーケットまでいく。日本でいえば、正月を迎える大晦日の賑わいで人がたくさんいた。ラウラちゃんも一緒についてきた。日本にはないような大きなスーパーマーケットでここで手に入らないものはないのではないかというくらい品数があった。クリスマスなので七面鳥をたべるので、肉売り場はひとだかり。ダニーがいっていたが、ペルーではお金を持っている家庭は七面鳥、持ってないところは普通の鶏肉を食べるのだそうだ。ラウラちゃんは、ダニーのお手伝いをずっとしていた。とても、やさしい女の子だ。俺はここで、日本の友達にお菓子のお土産を買った。俺はお土産にあまり金をかけない主義。金をかけたところで相手が大して喜んだことがないので、もうそれから高いものは買わなくなった。戻って眠くなったので休んだ。



12/25(月)
0時に起きる。至るところで花火や爆竹がなって、すごい音だ。寝てなんかいられない。昨日行った公園では打ち上げ花火をしていた。中国の旧正月を迎えるパフォーマンスに似ている。家の前の道路にダニー、ラウラと一緒に出てFeliz Navidad!(メリークリスマス)とごあいさつ。アウローラも来てくれた。皆で爆竹のなる中で喜び合った。ダニーはこの瞬間を見るために、このクリスマスを家族と楽しむためにペルーに毎年戻るんだといっていた。ちなみに日本はこのとき25日の午後2時だった。14時間も時差があるのだ。本当に遠い国だ。
 

クリスマスに乾杯!(ダニーさん宅) アウローラさんと一緒に(ダニーさん宅)

 家に戻って、パボ(七面鳥)の丸焼きが置いてあった。お母さん、ルイサ、ラウラ、ダニーと俺で、厳かにクリスマスを祝った。いきなりワインをあけて飲まない。日本でいうカステラみたいなものを食べて、ココアの飲み物を飲んでしまう。
 その後、ワインをあけて七面鳥やら他の食べ物を頂くのだ。これが本当のクリスマスなのかもしれない。日本とはぜんぜん違うね。こっちはクリスマス・イブに祝うことはしないそうだ。キリストが生まれた25日が大事なのだ。お酒を飲んで皆で楽しんだ。CDをかけて踊った。
程なく、ドリス、マルコ、ホセ、ジョニー、ジョーニーの奥さん、子供たちがやってきた。クリスマスの時は、家族のもとにみんな集うのだそうだ。お酒を飲みながらいろんな話しをした。ダニーは疲れてたみたいで、寝てしまった。俺もスペイン語でいろいろと話しをした。ジョニーとは、アリアンサチームのうたを何度となく唄った。アウローラもやってきた。一緒に飲んで語った。朝方になってもみんなまだ起きて話しをしていた。6時半に俺は眠った。



12/26(火)
12時に起きる。まだ、眠い。ラウラちゃんもお母さんが迎えに来ていた。お別れをした。それから、日本へ帰る準備をして、フォルクローレの楽器を探すため再度セントロまで買い物に行く。
 セントロではマチャカに再会。日本にいるときに比べて、とても痩せていた。セントロで楽器(サンポーニャ)を探すのに、マチャカに協力してもらった。途中、古い教会の前でセビーチェを食べる。もうペルーの食べ物も抵抗なくなんでも食べられる自分がいた。結局、サンポーニャを二つ買った。カホンを売っているお店もあった。俺は、これが一番欲しかった。いい音がでるんだ。これが、。(でも、自分で持ち帰れないのであきらめざるを得なかった。)マチャカにはとてもお世話になった。Gracias!
 家に帰って、帰る準備を続ける。今日の夜中には、もう日本に帰るからだ。カルロスも来てくれた。ダニーの家族がまた集ってくれた。

最後のお別れに(ダニーさん宅) 見送りに(リマ空港で)


夜9時半、お母さん、ルイサ、ドリス、マルコ、ホルヘ、シンティア、チャロ、カルロス、アウローラ、もう本当に嬉しくってしょうがなかった。みんなとてもいい人たちばかりだった。俺はもうペルー人。日本、帰りたくないといった。みんなが「また、いつでもきて、待ってるよ」といってくれた。絶対来るからと固い約束をした。10時過ぎ、家をでる。本当にありがとうございました。また来ます。何度も何度も手を振った。
 カルロス、ダニー、チャロが一緒に空港まで送ってくれた。ダラス行きの準備をして、軽く食事をして写真をとった。自然にアリアンサのうたを唄っていた。カルロスにいいたいことがいっぱいあったけど、胸がいっぱいで言葉に出なかった。お互いにとても寂しい、悲しい気もちは一緒だった。0時ごろ出国ゲートに行く。アリアンサを唄いながら、笑顔で見えなくなるまで手を振ってくれた。見えなくなって、涙がとめどなく流れてしょうがなかった。本当に辛かった。皆さん、お元気でまたあいましょう。



12/26(水)
1時50分、十一度目のフライト。リマ空港を出発。7時間半後、8時半(米国中部時間)ダラス空港に到着。日本行きの飛行機に乗り換えるためダラスで3時間ほど待つ。暖房が入っていた。北半球は、冬なのだ。11時半(日本:2時半未明)、十二度目のフライト。関西国際空港へ出発。大阪まで、6688マイル(10763km)。遠いなー!でも、疲れてたので酒を飲んですぐ眠れた。十二時間以上乗ってなくちゃいけないんだ。



12/27(木)
16時25分、関西国際空港へ無事到着。荷物を受け取って、福岡まで飛行機に乗る。19時過ぎ、十三度目のフライト。福岡空港へ、熊本に着いたのは、十一時過ぎ。とても疲れた。
でも、この旅は絶対忘れられない貴重な思い出になった。多分、距離で言えば地球一周くらいしたと思う。でも、行く先々であった友達は、お互いに心が通い合い距離なんて感じなかった。本当にたのしかった。日本に帰りたくなかった。ダニー、カルロスたち、全ての人たちにMuchas Gracias!!!    (終)


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