12/14(木)
6:30起床、7:30荷物をまとめタクシーで、ダラス・フォートワース国際空港まで向かう。
今日も、寒いけど天気はよさそうだ。何も食べずに9:30、五度目のフライト、アカプルコ行きの飛行機にのる。常夏の地へバモス!
眼下には西部劇のシーンを思わせるような乾燥した大地が延々と続いていて、何時の間にかメキシコ上空を南下していた。
椰子の木と綺麗な海岸線が広がるアカプルコが見えてきた。

アカプルコ上空
アカプルコ上空

海岸線にリゾートホテルがこれでもかとたちならんでいて、
夏大好き人間の私は思わず”やったー”と心の中で叫んでいた。13時過ぎ、安着。
外は太陽が燦燦と輝いていて気温が30度以上あるだろうか暑い。アカプルコは思ってた通りの場所だった。
入国審査を通って客引き込みの人だかりをかき分け、ダニーの友人:エレナさんと共にセントロ(市街地)まで向かった。
30分程行ってアカプルコ市街に入る。スペイン語話せるかなー?
浜辺が目の前にある場所が、我々が泊まるホテル・マリスだった。エレナさんは、”また夕方来るから”と仕事に帰られた。
ワーゲンタイプの車が多く走っていて、車が泊まると7〜8才位の子供たちが近寄って何かしきりに売っていた。
$をペソに換えて、近くのファミレスに入った。タコス、から揚げとたくさんの珍しいフルーツを食べた。
口にあわないかなと思っていたけど大丈夫だった。おいしかった。寒さから開放されたせいかみんな元気になっていた。
近くのショッピングセンターに行った。新しくて綺麗なところだった。さかいさん、さがらさんは買い物に。
僕は、店をうろうろしていた。インターネットカフェがあったので、日本の友人に何通かローマ字でメールを送った。
日本じゃないので、日本語が打てないのだ...。
買い物を終えて、海岸が見える場所まで車椅子をこいでいった。波の音が自然に聞こえてきた。
左の浜辺ではビーチバレーをしていて、目の前ではパラセーリング、モーターバイク、バナナボートなどで人を乗せて楽しそうだった。
夕日がこんなに綺麗だったのかとあらためて思うほど良かった。

 

夕日
浜辺から夕日を


エレナさん家族と エレナさんがやってきた。車に乗ってエレナさんのご自宅にいった。お父さん、お母さんが出迎えてくれてテキーラを頂いた。おいいしー
何時の間にか2〜3杯飲んでいた。お父さんは学校の先生をしていて、バスケットも教えているといっていた。とてもやさしい方々だった。
エレナさんの家族と一緒に

その後、崖っぷちから人が落ちてみせるレストランにいった。ワインを飲みながらそのパフォーマンスをみた。
たいまつをもったマッチョが何人も崖を登っていって、次々に海に向かって飛び込んでいった。落ちるっていっても30〜40m位はあったと思う。
そのあとホテル近くのレストランで遅い夕食をとった。暑いところなので、テーブルと椅子も歩道の間近までおいてあった。
奥ではサルサ音楽が流れ、にぎやかな声が至る所で聞こえる。食事中にもかかわらず”花を買ってくれ”だとか、”タバコを買ってくれ”だとか、売りに来る人がいた。メキシコ料理は辛くてあんまり合わないと思っていたけど、実際は全然違っていた。本当においしかった。
ホテルに戻り、エレナさんにおやすみをいって僕らは波の音を聞きながら眠った。


12/15(金)
9時ぐらいにおきて2階のレストランで食事をする。気温は30度近い。目の前には綺麗な浜辺が広がっている。
時間もゆっくりと流れていってなんていい所なんだと感動。
朝食は、メキシコ料理だけどもフルーツと野菜がふんだんにトッピングされたあっさりした料理だった。
今朝からどうものどが痛くて、ちょっと風邪を引いたようだ。エアコンつけっぱなしで寝たのがいけなかったのかな。
(これが悪夢の前兆になるとは...)
昼食を済ませて、2時ごろエレナさんが働いているスクールに行った。
セントロから一寸離れたところにあって、こっちの街のほうがどうもアカプルコの地元の人たちが住む場所のようだった。
あちこちで子供たちがボールをけって遊んでいた。

そこはアメリカ人の先生が出資するスクールで、勉強したくても経済的に勉強できない子供たちに開かれた場所だっていっていた。
スクールはちょうど工事中で、地下の教室で子供たちは勉強をしていた。

学校に行っている子供たちは日本人と接することがないみたいで、我々に興味をもっていた。授業を使って日本の紹介があった。一人一人スペイン語で自己紹介をした。
子供たちは、高校と大学の男女がどれくらいの割合で勉強しているのか知りたがっていた。さかえさんがそのことを説明していた。みんな少しも聞き漏らすまいと真剣にきいていた。
日本の子供たちにはない目の輝きが彼らにはあった。僕もみんなと一緒に語って写真を写った。とても楽しいひと時だった。階段を子供たちが手伝ってくれた。みんなのことは絶対に忘れない。
スクールのみんなと



           



一度ホテルに帰ってからみんなは一寸浜辺に。
パラセーリングに3人は挑戦したみたいで...俺もやってみてーなー!(結局、余りにも危険なのでやらなかった。)
そのあと僕らはホテルのプールで泳いだ。夕日を浴びながら泳ぎを楽しんだ。泳ぐのは本当に久しぶり。
目の前の砂浜でモーターバイクに乗って商売をしているメキシコ人に頼んで、みんなそれぞれ乗り込んだ。

メキシコ人のオクタボさんが俺が乗るバイクを運転した。
免許は持ってるのとスペイン語で聞いてみたら”そんなの持ってないよ”っていった。
日本じゃ持ってないと乗れないに、”ここはなんていいところなんだ”と思った。
”リュウジ、君が運転してくれる?”って、途中から俺が運転した。
日も暮れて街の明かりが波に映りながら、その中をバイクでぶっ飛ばした。アカプルコ最高!!オクタボ、グラシアス!(=ありがとう)
オクタボさんと

ホテルで体をふいて、夕食を近くのレストランですることにした。そこに、エレナさんの友人のマルセラさんが来てくれた。彼女はお医者さんで仕事が終わって会いに来てくれた。
食事は肉、野菜、果物をたくさん使ったとてもおいしい料理だった。もちろんテキーラも、、、。
食べ終わって、ある場所に行った。もちろんサルサを踊りに行くためである。ここはお抱えバンドまである大きいダンスホールだった。
観光客相手に商売をしているみたいで白人の客が多かった。

酒を飲んでみんな調子が出てくると次第にステージのほうでみんな踊りだした。さすが本物のラテン音楽は違うね。ノリがぜんぜん違う。
踊った相手だと思うが、我々のテーブルにメキシコ人のおじさんがやってきた。しきりにさかえさん、さがらさんに踊ったり、飲ませようとしたりしてからもうとする。店員に頼んで何度ひきとってもらおうとしても何回もやってくる。
しまいに連れ立ってきていた奥さんにこっぴどくしぼられたようで何とか解決した。そんなこんなでたのしいひと時をすごしていたら、
もう3時近くになっていた。まだ踊っている。どうも他の客は朝まで踊るらしい。
エレナさんとお友達のマルセラさんと一緒に

もう出ようかと我々が言おうとすると”えっ、もう出るの?”エレナもマルセラももうちょっと踊りたそうだった。
3時ぐらいに出るのは、彼らの感覚では早すぎるのだろうか?昼間とは違って、深夜の道は人も車も少なかった。
マルセラさんとは、ここでお別れをした。みんなほんとうにありがとう。とても楽しい夜だった。
4時に寝る。


12/16(土)
8時に起きて朝食。そのあとエレナさんにいろんなところに連れて行ってもらい街を案内してくれた。
金持ちの別荘が多くある景色のいいところや、博物館、二日前に行った崖から落ちる男たちがみれるところなど、、、。

でも私が特に感動したのは、歴史博物館だった。ここはもともとスペイン人の城か砦があったみたいで円形の広場に外側にいくつも部屋があった。広場には大砲もあった。

アカプルコの歴史がみれるところでスペインの植民地時代には、ここからフィリピンの植民地まで物資の行き交いがあったのだそうだ。
中国:明時代のものとおもわれるもの陶磁器や台湾の刀、着物などが展示してあった。みんなは歴史は案外知らないようで、ここで働いてみたらってマジな顔していわれた。すごく興味をそそられた。
アカプルコの博物館前で




アカプルコの海岸で...エレナさんのお父さんと一緒に(本当にありがとうございました)


3時くらいにホテルを出て空港まで行った。エレナさんのお父さんも一緒に見送ってくれた。
ところがここでまたハプニング!!
アカプルコからマイアミに向かうルートで火山が爆発。灰が飛び散って危険なので飛ばないのだそうだ。どうしようか、ダニーとエレナさんのお父さんがあちこち手を尽くしてくれて、
メキシコシティまでだったら行けるということだったので、路線の多いメキシコシティまでいって今日中にマイアミにいけるかどうかすることになった。

風邪がここになってひどくなったらしく、薬をさかえさんからもらって何とか飛行機に乗り込んだ。
エレナさんたちとはここでお別れ。本当にありがとうございました。忘れません、また来ますと言い残して...。
17:00、六度目のフライト。メキシコシティに7時過ぎに到着。預けていた荷物の受け取りと乗り換えの飛行機がゲットできるかどうか?僕らは空港の中で大慌て。僕は薬に入っている睡眠薬がとても効いて眠くて仕方がない。やっと乗り継ぎの飛行機会社のところにいったもののちょっと遅かったらしく,今日中のマイアミ行きは無理になった。仕方がないので明日の飛行機の予約をとりにダニーが手続きに行った。その間たくさんの荷物を見張っていなくてはならなかった。
ここは日本じゃない、メキシコだ。スリや窃盗は日常茶飯事。ダニーはいつになくピリピリしていた。でも、俺は死にそうに眠たかった。
起きろっていわれ何とかおきて、また何秒後かには眠っているのだった。それを、何度か繰り返しているうちに、今日のホテルと明日のマイアミ行きのチケットは確保できたようだ。(このことがどうもダニーには面白かったらしく、俺に会う度にこのエピソードを友達に話して面白がっている。なんてひどい奴だ。ウソよ、ダニー!!(笑))
右側の山から噴煙が!
このことが原因で、メキシコシティに一泊泊まることに...

8時過ぎだったか、9時過ぎだったかホテル<JRホテル>に向かった。ホテルは空港のすぐ近く。とにかく死ぬほど眠くてどうしようもないのだ。俺は、部屋<227号室>に入ったとたんもう寝ていた。飯も食わずに、ひたすら眠り続けた。ぐーぐーぐーと。
<この晩、俺を除いたみんなはセントロまで行って、マリアッチのいるレストランで楽しい夕食をし、テキーラがおいしかったっていっていた。>
ダニーがパンにはさんだ食事を持ってきてくれた。(このときの食事はだいぶ探し回ってくれて持ってきてくれたものだったようで、ほんとご免ね、ダニー!)ありがとう。食べながら眠っていた。ほとんど食べれなかった。何度もいうけど俺は本当に死ぬほど眠かったのだ。
俺はこのまま死ぬのだろうか?(それは大げさじゃ!)


12/17(日)
9時に起きて、朝食。まだ眠い。いったい何時間寝たのか分からない。
3人はセントロまで買い物に行くということだったが、俺はまた部屋に戻って出発するまで眠っていた。

メキシコシティーの大きな広場で...
(この時、私はホテルで死んでました!)

3時に荷物をまとめて出発。マイアミ行きの手続きをした。手続きをしてくれたスタッフがとても親切だったらしくペルー行きまで荷物を降ろさなくていいように手配してくれた。出発するまでメキシカンなハンバーガーを食べた。メキシコバンザイ!!、くいしんぼうバンザイ?!
17:30、七度目のフライト。一路、マイアミへ。
21:30、マイアミに到着。上空からの夜景が今まで見た夜景の中で最高のものだった。一度、見たらこの気持ちが分かると思うよ。とにかく、すげーっよ!

空港に到着。ここは、東部標準時間。もう何時間かかったか分からん。
俺は、すべてといっていいほど車椅子移動。したがって、ここでも当然、車椅子。これがきっかけで空港でちょっとしたえらいことになってしまった。通過する場所には階段があって通れない。
マルタさん(コロンビア人)という空港スタッフのおばちゃんがずっとついてくれていたのだが、エレベターで行こうとすると行きたいところに行けないのだ。
どうも、イミグレーションで降りる階を間違ってしまったらしい。何度か空港の中を行ったりきたり、どうやったら行けるのって空港仲間にいっているが。(もちろんスペイン語で)
いつのまにか怒ってしまって、、、。俺はどうなるの?
そうこうしているうちにダニーたちと再会。今日中にペルー行きの飛行機には乗れそうだ。ふーっ。
23時過ぎ、八度目のフライト。南米線は、いつも夜遅くか朝早くしかないのだそうだ。
一路、ペルーへ。ダニーは何かほっとしてたみたい。バモス、ペルーッ!
もう、旅をして一週間経った。はえーっ!

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