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2004.09.30
ドリッド2日目、朝食後、地図を持ってなかったので近くの案内所で地図を受け取った。昨日は夜に着いたので街の景色が分からなかったけど、マドリッドでも中心部のプエルタデソルという地区だった。日本でいえばさしずめ渋谷駅前のようなところだろうか?
僕らは通りを上に上っていくことにした。なにか安い掘り出し物があるかどうか、El Corte Inglesというデパートに入ったが、何を見ても高いのであきらめた。昇りきった処にJTBの旅行代理店があったので、マドリッド観光で相談にのってもらった。日本人のスタッフが対応してくれたので、日本語で気軽に聞けたのでやーまんもホッとしていた。"闘牛を観たい"ということと、"フラメンコの有名なお店"、"洋服が安いところ"など聞きたいことをいろいろと教えてくれた。

プエルタ・デ・ソルのある銅像前で

闘牛は土曜日と日曜日にあるらしい。日曜日には日本へ帰らなければいけないので、土曜日のチケットを手配してくれるようにお願いした。土曜日は日曜と違って二軍の闘牛試合なんで少し安いようだ。日陰席と日向席でも料金が違うらしく、僕らは日陰席で頼んで、一人50EUROだった。お店を出てスタッフの人から聞いたディスカウントショップに行って、服を買う。やっと望んでいるような値段で買えた。


プエルタ・デ・ソル(マドリッド市内)
 

玄関前にゴヤの銅像(プラド美術館)
買い物を終えて一度ホテルに荷物を置いて、プラド美術館に向かった。世界的に有名なゴヤ、ベラスケス、ルーベンス、エルグレコなどのスペイン絵画やイタリア絵画、ドイツ絵画、フランドル絵画、なども併設して揃っている。
部屋の一つ一つがかなり大きく、作品数も多いのでビックリした。本で調べると8000点以上の所蔵品が収められているらしい。此処では、フラッシュを使わなければ、撮影はOKだった。
ゆっくり見れば、2〜3日かかりそうだ。やーまんとは中で別れ自分のペースで観ることに...。”裸のマハ”や”1808年5月3日”などみなさんもご存知の絵画も展示。本物はやはり素晴らしかった。これだけの芸術作品を大事に守っているスペインの方の心が本当に誇りに思えた。
外に出て美術館の庭を散策。穏やかな昼が過ぎていった。通りを挟んだ処にお土産屋があった。タパスにあるあのポスターがこんなところに売ってあった。お店の人はフレンドリーで、日本から来たといったら、”ようこそマドリッドへ”、よく来たな、遠いところから。俺も日本に行きたいよ。
///中の展示品は多数撮っているけど、スペインの国宝物に敬意を表し掲載しません。
プラド美術館で本物を見てください。感動しますよ。///
ホテルに戻って5時頃、横にあるレストランのオープンテラスで食事。ビールとワインとちょっとした食べ物でゆっくりと過ごす。人の流れは止まることなく時が過ぎていった。8時なのにまだ明るい。日本だととっくに日が暮れている時間なのだが...。
直ぐ近くでストリートダンスをしにきた、10代後半の青年達が大きな輪の中で自分達のダンスを披露していた。その後俺たちは、夜のマドリッドを散策。
夜は夜で街が光にあふれ、ほんとにきれいだった。ただどこの通りをいっても坂が多いのにはほとほと困った。通りを歩いていたらtablaoが目に止った。明日の晩、フラメンコを観るからと中を見せてもらった。階段を降りらずに見れる席があるというので、”じゃ、そこで明日見にきます”と予約しておいた。
ホテルから以外と近かったので、フラメンコの学校に来ている、いずみやマハたちと行ければ行こうと思った。PM10:00、就寝。

通りの半分はオープンテラス、その横を人が通る

ホテル前のオープンテラスで

やーまん、飲みすぎ?♪

マドリッドのストリートパフォーマー

 

 
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いずみ&マハと...
2004.10.1
ドリッド3日目、AM8:30に起床。朝食後、ホテル前でセビリヤから戻ってきた”マハ&いずみ”と再会。彼女達とは8月の福岡のサルサイベント以来会ってない。前々から同時期にスペインに行くことが分かってたので、合流できたらごはんでも食べようと約束していた。
セビリアの学校ではフラメンコを極めてみたい日本人女性が本当に多くいるらしく本当に凄かったと話してくれた。先生も一流になればなるほど授業料も高いんだとか..。2週間のフラメンコ留学がとても充実していて楽しかったと話してくれた。彼女達とはまた夕食を一緒に食べようと約束、僕らはFNACに行った。
FNACはスペイン版タワーレコードみたいな処で、CDはもちろん、DVD、ビデオ、ゲームソフト、書籍などを1階から4階まで商品別に多数販売。エレベータで昇ろうとするが、警備員付きで案内してくれた。普通の人はどうも使えないようだ。ホセは以前からCSでスペイン放送を観ていたので、お目当てのCDが欲しくてしょうがなかった。今回はなんとしても現地でしか手に入らないものを買うぞとずっと思っていた。以外と早く現地にいけたので本当に嬉しかった。気付いたら何枚も買っていた。レジのお姉さんにコピーしたパスポートでカードで買おうとしたが、オリジナル(本物)じゃないとダメだと断られ現金で買う羽目に...。う〜ん、かなりの出費。

一度ホテルに戻って、今日はソフィア王妃芸術センターに出かけた。ガラス張りのエレベータが外に出ていてバリアフリー施設が整っている。此処はあの有名な”ゲルニカ”を描いたピカソの作品やダリ、ミロなど現代アートの作品が多数展示して、プラド美術館とは違ってここはここで独特な雰囲気が観ていて楽しかった。
ここは撮影は一切禁止。ゲルニカの本物を撮りたかったが、無理だとあきらめた。”泣く女”とかホセにもかけるんじゃないと思った。ホセは美術が極端に低かったせいで、デザインをつくるのにはかなり下手だ。ドラえもんの絵描き歌だったらできるけど...。おれのはいくらで売れるだろうか?ハウ・マッチ?(笑)
ピカソの作品は一つ一つがシンプルなんだけど、ものすごいエネルギーを感じた。戦争の残酷さを表現した、”ゲルニカ(キャンバスの大きさも横が10m、高さが5m程。)”は観ていて悲しくなった。彼の戦争に対する激しい怒りの声が聞こえてきそうだった。3人も警備員が監視する中、ゲルニカは僕を威圧し、二度とつまらない戦争をしてはだめだと訴えてきた作品に思えた。それ以外にもダリやミロの作品も鑑賞。最高のひとときが過ごせた。此処でもやーまんとは別れて鑑賞した。見終って、外に出るとオープンテラスでビール片手に僕を待っていてくれた。もう彼もこちらのペースに少しは慣れたようだった。注文も自分がいなくても大丈夫のようだ。


玄関前で(ソフィア王妃芸術センター)

  

マハと乾杯!

ローストチキンとシェリー酒の相性は最高☆
PM6:00にTABLAO近くのオープンレストランでマハ・いずみ・それにフラメンコギター留学にスペインへやって来た杉本さんと5人で乾杯。ワイン、ビール、本場のシェリー酒など本当にお酒が美味しかった(あくる日は頭が痛かったけど...)。何杯もお代わりした。食事も肉が柔らかくスパイスがきいて最高。
スペイン料理は最高です。杉本さんは福岡での仕事を辞めて、この分野で自分を見つけていきたいと家族を置いて日本からやってきていた。何かにかけるそんな生き方が格好よく見えた。今後の大成功を心から願った。
夕食を楽しむ客相手にどこからともなく演奏を始める。聞いたような曲も流れる。音楽を聴いたら踊りたくなる性分なので、ベロベロに酔っ払っているのもそっちのけでビール片手に体を動かしていた。SABORRRR!!

前はテーブルを囲んでお客がショーを楽しむ、フラメンコダンサーの後ろでは、カンテ(フラメンコ歌手)とギターラ(ギター奏者)とリズムをとる人たちが軽快な手拍子でリズムをとる。それを聞きながらダンサーは激しいステップで華麗に舞う...。

フラメンコ・ギターの軽快なリズム


カスタネットでの演技

PM9:30頃だろうか、杉本さんとは此処で別れ、近くのTABLAOに移動。その後僕ら4人は昨日立ち寄ったTORRES BERMEJASに入った。本場のフラメンコをスペインで観るのはこれが始めて。本当に観るのが待ち遠しかった。マハやいずみはフラメンコを習っているせいか、フラメンコのことをいろいろと教えてくれた。
僕らはあらためて二度目の乾杯をした。かなり酔っ払っているせいか、気分もかなりハイテンションだった。フラメンコのダンスが終わる度に、拍手喝采。相当うるさかったと思うが、そんなのおかまいなし。ステージのダンサーもこちらに投げキッスをしてくれた。マハはフラメンコダンサーの一人と以前メキシコで仕事をしていたらしく、実に20年以上の再会だった。こんなことってあるんだね。だから旅って止められないんだ。いずみもフラメンコをみれて改めて感動したようで、「本当に楽しかった。誘ってくれてありがとう」と話してくれた。彼女達とはホテル前で別れた。お互い無事に日本へ戻れるように、抱き合い別れた。明日の飛行機で日本に帰るとのこと。BUEN VIAJE!! AM0:00、就寝。

Toma que Toma!!Fantastico!!!

 

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2004.10.2
ドリッド4日目、AM8:00起床。近くのカフェでトルティージャとコーヒーを飲む。ちょっと寒い。明日は日本に帰るので今日でスペイン観光は最後。一日何度でも乗れる周遊チケットを買うと安い料金でマドリッド市内を廻れるよとマハが教えてくれたので、それをやってみようと近くのチケット売り場で買い、1番コースの周遊バスに乗った。
床バスで車椅子でも自由に乗り降りできた。バスに乗り込むと所定の位置に固定してくれ、ヘッドホンを手渡された。やーまんは2階のオープンシートに上がっていった。ありがたいことに日本語でのチャンネルもあったため、いろんな有名な場所を知ることが出来た。一昨日行ったプラド美術館や昨日行ったソフィア王妃芸術センタ―、
今年に入ってアルカイダ系の爆弾テロにあったアトーチャ駅も通った。行ってはみたものの事故が起こったことなど少しも感じなかった。スペイン王宮(Palacio Real)前も通った。白亜の堂々とした巨大な建物だった。一周してプエルタデソルに戻ってきた。マヨ−ル広場に行こうと話しをして、徒歩で移動。広場の入り口に、顔を金色に塗った
サッカーアルゼンチン代表:マラドーナ?がいた。チップをいれると止っていた体が動いてサッカーボールを蹴る。
んまり上手じゃないリフティング?をした後、写真を一緒にとった。行く先々でこういう人(ストリートパフォーマー?)がやたらと多いなぁと感じた。普段は銅像でお金を払うとちょっとパフォーマンスをする。お金を入れないと絶対動かない。見ていると本当に面白い。
 マヨール広場に入った。中央に馬に乗った、王様?の銅像がそびえ立ち、周りを宮殿のような建物が囲む素晴らしい広場だった。あちこちに絵描きがいて、風景画だったり、人物画だったり自分の作品を思い思いに売る。似顔絵を書く絵描きもいたりして、かなりデフォルメしたイメージで描く絵描きに記念に描いてもらった。
 最初にやーまんを描いて、次に俺を。お互い描かれているときは分からずに、特徴をつかんだその似顔絵と本物と見比べられて周囲からゲラゲラ笑われる。そういうのが嫌な人はデフォルメ似顔絵はおすすめできない。出来上がった自分の顔にな〜んか腹を抱えて笑ってしまった(笑)似てねーぞ、俺はそんなにブサイクか?と心に思いつつ...。
 王宮に行こうとマヨ−ル通りを移動。途中で小道に入った。途中には何世紀に作ったのかかなり古い建物があった。あたらしいものと古いものとが入り混じった町並みが当たり前の風景のようらしい。そこで普通に生活している人たちがここ彼処でみられた。10〜15分程、移動しただろうか王宮にたどり着いた。王宮とはいえ、普段は王様(カルロス国王)はいないそうだ。公式行事のときは、ここを使って盛大に催事をするらしい。普段は王宮の中にも入れるが俺たちは入場料を渋って今回は外側だけを見ることにした。柵ごしに王宮の広場(アルメリア広場)が見られ、反対側にはマドリッドの守護聖母が祭られたアルムデナ大聖堂がそびえ立つ。
 その奥には広大な庭園が広がっている。王宮は白い御影石で出来ている、白亜の王宮にふさわしい。う〜ん、凄すぎる。青空と白の建物のコントラストが何ともいえなかった。今度また来る機会があったら、中を見てみたいものだ。周遊バスにバスに乗ってプエルタデソルに戻る。降りたバス停の傍にやーまんが床屋を発見したらしく、行きましょうとついて行った。

(PALACIO REAL)はかなり大きい敷地をもつ。
屋といっていいのだろうか女性の客も居る。此処はユニセックス(男女兼用)のお店らしい。店に入ると奥の方で今日はどうカットしますかと聞かれる。やーまんの言いたいことを通訳して用件を伝える。日本みたいに専用の床屋椅子はなく、普通の椅子に座る。髪を洗うところも一箇所だけ、そこで洗って髪きりにうつる。彼はカラーを入れたいと思ってたらしく、外国のカラーは相当ヒリヒリするよと彼に前置きして髪を染めてもらった。そのあいだただ待ってるのも暇だったので、俺も髪を切ってくれるように頼んだ。雑誌を見ながら短くこんな風にとお願いして、洗髪後切ってもらった。
 ホセを担当した人はペルー出身の女性だった。この仕事を13年近くしているようで、日本人だというと。日本にはたくさん友人が仕事で行ってるわ。と話してくれた。みんなとても気さくで、今から俺たちは闘牛を見に行くと行ったら、「それはいいアイデア。でも私はあまり好きじゃない。牛が死ぬのが残酷だから..。」と言っていた。スペインでも闘牛に関しては、時代遅れだ廃止しろと言う声と続けるべきだと言う声と意見が分かれるようだ。スペイン人はみんな闘牛を見るというのは、どうも違うようだ。
ひとつビックリしたのは、こちらでは首筋や横顔にかみそりを当てるときは、おしぼりで保温してクリームなど一切塗らない。いきなりかみそりでいきなり剃る。それにはビックリ。

闘牛場という文字が...

広場前は闘牛士と闘牛のモニュメントが
PM5:00ごろ、ホテルから10分ほど行った、TEATORO DE TORERRO(闘牛場)に行った。土曜日だというのに闘牛場の廻りは多くの観客で賑わっていた。入り口のスタッフにチケットを見せこっちだと案内された。円形の闘技場なので、入るゲートを探さなくてはならなかった。ゲート前にくると、座席に敷く皮のクッションを人数分手渡される。昇り階段を上げてもらって、数人のスタッフに上げてもらい、見慣れたあの円形闘技場が眼下に見えた。まだショーは始まっていない。座席まではスタッフが案内してくれ、席に来るとあのクッションを敷くらしい。座席はコンクリートで作られたシンプルなつくりだった。私は車椅子なので席はつかえない。ゲートの入り口附近で見ようと思ったが、「もっとゆっくり見える席があるからついて来い」と
云っているらしくついていくと上の階に昇れるエレベータで上がった。障害者席はここでもなかったが、先ほどの通路で観客にもみくちゃにされるよりはましな通路際で見せてくれた。先程より観客が増えてきた。云ってたように日陰の席のほうが、観客の数は多い。日向は少ないようだ。

闘牛場の円形アレナ・・・☆青い空と建物のコントラストが印象的☆
PM5:30、ファンファーレが鳴り、1頭目の牛が大きな円形アレナに入ってくる。黒の大きな牡牛が壁に向かって角を突き立てる。上に居てもはっきりと音が伝わってきた。最初はカポーテを使った演技:カポーテ(表がピンク、裏が黄色の襟付きマント)を使って闘牛士(マタドール)は、牛のスピード、性癖、力を見抜く。二番目に馬に乗ったピカドールの演技:鎧を付けた馬に跨ったピカドールが馬を横にして横腹に牛をつっこませて、その間に牛の肩甲骨の隆起部を槍で突き、適度に牛の体力とスピードを失う。

1.カポーテの演技

2.ピカドールの演技
番目にバンデリリェーロの登場:飾りの付いた2つ1組の長さ70cmほどの飾り銛を3人のバンデリリェーロが交替で牛に突き立てる。背からは鮮血がほとばしる。ムレータの演技:いよいよ左手に真っ赤なフランネルのムレータ(赤いマントのこと)、右手に剣をもつマタドール(闘牛士)が登場し、
マタドールと牛との真剣勝負が始まる。
みんながよくテレビで見かけるところは、このマタドールと闘牛の一対一の場面が多いがそれまでに、牛はかなり振り回され槍で刺されへとへとに疲れてマタドールと対面するのだ。牛はそれでも赤いマントに勢いよく向ってくる。マタドールは華麗にマントを翻して牛の横を通り過ぎる。オーレ!オーレ!と観客から声がかかる。

3.バンデリリェーロの技

4.マタドール(闘牛士)と闘牛との真剣勝負
は一瞬、マタドールの前で呆然と立ちすくむ。マタドールは観客から拍手喝采を浴びる。真実の瞬間:牛にとどめを刺す為に剣を取り替える。1mはあるだろうか、牛の肩甲骨の間5cmほどの瞬間を狙い、一気に牛の心臓まで突き刺す。牛は息絶える。大きなスタンディングオベーションがマタドールに送られ、アレナを一周する。死んだ牛は三頭馬の後ろに角を引っ掛けられ、あらっぽくひっぱられながら退場する。とうぜん血も引きずりながら...。これが1試合(20分)で行われる内容だ。これが、闘牛場に太陽の落ちる影が伸びてきたときに闘牛は始まり、日が沈む約2時間の間、戦いが繰り広げられるのだ。まさに食うか食われるかのデスマッチだ。残酷に思う人は闘牛はおすすめできない。約2時間の中で結局殺された牡牛は8頭。多分最後までみれないことだろう。

5.真実の瞬間

会場は超満員!!

闘牛場の渡り廊下で

このエレベータで高い場所の席もOK!

ショーが終わると人で混み合う

ライトアップされた凱旋門
スペインの男達は生と死のドラマに熱狂する。プロセスを重んじ、完全な美しさを保ち、牛に向き合う、なめらかに荘厳に舞うマタドール。この壮絶なドラマは一度見たものを確実に虜にする。
興奮覚めやらぬままに闘牛場をあとにする。最後の夜はサングリアを飲み、パエーリャをたらふく食べて、ふけゆくスペインの夜を存分に楽しんだ。
見ておきたいものは全て見た。日本には帰りたくないというのが本音だが、近い将来また舞い戻ってくるとマドリッドの星空に誓いながら深い眠りについた。<完>

パエーリャとワインで最後の夜を楽しむ...。