戻る
2004.09.27
年に引き続き二度目の海外旅行に出かけることになった。今回の旅は学生時代からとても行きたかった国、スペイン!その日がやってきたのだ。
嬉しくてあんまり前の日は眠れなかった。1週間の空きをつくるために、全ての仕事をメドをつけての出発だった。
 今回の旅は、同じ町の商工会の仲間”山崎(やーまん)くん”が一緒にお供してくれることになった。 まだ明けやらぬAM4:00自宅を出発。やーまんの車で一路、福岡空港まで向かう。
 AM6:00に空港到着。まだ空港にいる人の数は疎らだった。今回は成田空港からの出発なので、旅行チケットを旅行代理店(HIS)から全て受け取って、AM7:15に福岡空港を離陸。

成田空港で
 AM9:00に成田空港に到着。成田に来るのは、学生以来、10年ぶり。すっかりでかくなった巨大空港にビックリした。飛行機の出発はPM1:05なのでその間に、お金をEUROに交換した。最後の日本食をやーまんと食べてしばらくは食べられないなと笑いながら、今回スペインまで往復利用するBRITISH AIRWAYSに載りこんだ。ホセは車椅子のため優先搭乗で時間より早く機内に載せてくれた。成田は少し曇っていた。予定時間より遅くBA008便はPM1:30頃、成田を離陸した。およそ12時間のフライト。

 一路、ロンドンのヒースロー空港へ。さあ、12時間の途方もない時間をどう過ごすか?
まあ大半がしゃべりか、酒飲んでいるか、ビデオでも見てるぐらいしかない。ホセは、左側3列の真中の席。右側はやーまん、左側の窓側はルージーというイギリス人の女性。英語で気軽に話し掛けると、彼女からも気軽に話し掛けてくれた。
 ご主人と二人で日本を旅していたみたいで、九州の柳川で船に乗ったり、浴衣を着たりしたそうだ。ご主人ははカナダで急な仕事が入ったため彼女一人、その後の残された旅を楽しんでいたとか。実は僕らも九州からきたんだというと、ラーメンおいしかった。温泉も良かったとにっこりと笑顔で応えてくれた。どれくらい話しただろうか?かなり話し込んでいたらしい。かたわらのやーまんは英会話に加われなくてあきらめたのか眠ってしまったらしい。

 「君たちは何処に行くの?」って聞かれ、イギリス経由でバルセロナに行くんだと話した。「スペインに行くんですね。あの国はとても魅力的な国よ。わたしもだいぶ前に行ったことがあるわ。」って話してくれた。「今回はバルセロナとマドリッドの二ヶ所に行くんだよ。」っていうと、「スペインの絵画は本当に素敵だから是非行った方がいい、それとおいしいシェリー酒を飲むことをおすすめするわ」。と教えてくれた。
 他にも彼女のスペイン旅を様々な角度で話してくれた。それほどに忘れられない強烈な印象を残してくれる国に、僕らは行くんだと思うと胸は高鳴った。


イギリス人のルージーさんと

只今、モスクワ上空

フィンランド?スウェーデン上空?

上空10,000m以上、外気は約-60℃

 



12時間後、ロンドンの町並みが...
2004.09.27
定より少し早くPM5:00にロンドン、ヒースロー空港に着陸した。
 イギリスはどんよりと曇っていた。少し肌寒い。バルセロナ行きの飛行機が出るまでの間、空港内で待つことになった。ターバンを巻いた、空港スタッフがホセをハンディキャップ専用の部屋に連れていった。中にはたくさんのおじいちゃん、おばあちゃんが自分の飛行機が出発するまでの間、ソファーで過ごしていた。
 二時間ほどあるので免税店をのぞいたりしていた。イギリスはポンド単位なので、どれくらいの価値なのか判らなかった。だがEUROは使えたので良かった。バルセロナのホテルには夜中に着くので、ここで軽い食事をテイクアウトした。
 用が済んで時間まで待つことに。ところが出発20分前になっても迎えに来るスタッフはいない。「時間間近になったら迎えに来るからと...」はっきり云っていたのに。不安だけが募る。あのターバンのおじさんが来た。まだOKだ、居てくれと。だがもうあと15分しかない。本当に大丈夫なのかと他のスタッフに問い詰める。早く搭乗口までいきなさいという。とりあえず行こうとやーまんと移動する。
 ターバンのおじさんが、HURRY UPと言い出した。今度は、急げと云っている。どっちなんだと怒っている暇はない。急いで搭乗口に急いだ。間一髪、飛行機には乗せてくれた。あのターバンおやじが!と二人して面食らった。あやうく載り損ねそうになった。日本では考えられない対応。う〜ん、やっぱりここは日本の感覚が通じない外国なんだ。自分達でしっかりしてないといけない!!


コンコルド?(ヒースロー空港)

イギリスは霧が濃くて雨模様

ヒースロー空港の待合室で..しばしの休息.

このおじさんにはかなりヤラレました(^^;)

 


バルセロナに到着!
2004.09.27
PM6:50、スペイン・バルセロナへ向けて離陸した。約2時間30分のフライトだった。スペイン行きの飛行機のせいか、スペイン語が飛び交っている。ドーバーを抜けてフランス、そして地中海のバルセロナの夜景が見えたのはPM9:30、PM10:00過ぎ無事スペインへ到着した。家から丸一日の道のり、本当に長かった。でもとにかく無事到着できたのだ。 PM10:30空港を出る。出たところにはカタルーニャ観光のティエリーさんが出迎えに来てくれていた。

ティエリーさんと
 実は先月インターネットでスペイン情報を調べていたら、偶然彼の経営するカタルーニャ観光にアクセスすることが出来た。スペインは初めてだからとにかくホテルの手配と空港まで迎えにきて欲しいという事をメールでやりとりしていたのだ。日本の代理店など通さず直に交渉したのでうまくいくかどうか心配したが、彼は一つ一つのことを誠実にやってくれた。本当に素晴らしいフランス人だった。日本語も話すのでやーまんも気軽に話していた。
 バスでホテル近くの通りまで移動することになった。 もう時間はPM11:00。でも街は明るかった。降りた場所は、カタルーニャ広場前。360度ヨーロッパの石造りの建物が僕らを出迎えてくれた。そこからホテルまでティエリーさんに案内してもらい移動した。石畳の道を移動しだんだん道幅が狭くなってきた。月曜の夜中だというのにオープンテラスでは到る所で飲み会の真っ最中。そんな中を通り過ぎて行った所にホテルがあった。泊まるホテルはHOTEL CONDAL。彼がチョイスしてくれたホテルだった。彼と僕とでチェックインを済ませ、此処でお別れした。夜も遅いのに本当にお世話になりました。
 部屋についてベッドに横になった。もうAM0:00をまわっていた。疲れていたので直ぐに眠った。

 


 

 
戻る
2004.09.28
の7:00か8:00ごろだろうか、窓側から教会の鐘が鳴っている。そういえばホテルに着くまでに古い教会の前を通ったことを思い出した。その教会の鐘なのだろうか?
 ぼーっとしている自分のもとにやーまんが入ってきた。彼は朝早くにおきて、通りをぶらっと歩いてきたと云っていた。真夜中の路地を通ってきた街がこんなに大きさいとは彼もビックリした様子で熱っぽく語っていた。
 テレビでは日本の人気アニメ”ドラえもん”が放送されていた。スペイン語でしゃべっているのだ。なんかオリジナルの声とのギャップがあって見ていて大笑いした。”うる星やつら”や”ポケモン”など日本のアニメはスペインで大人気みたいだった。

サグラダファミリアの偉容
 今日は、サグラダファミリアを見に行こうと予定を立てているので、AM9:30にホテルを出てタクシーで一路、現地へ向かった。タクシーの運転手は、自分達が日本人だというとME GUSTA SUMO MUCHO(=相撲が大好きなんだ。)とアサショウリュウ?カイオウ?キョクシュウザン?って次から次に彼の口から出てきたのにはビックリした。衛星放送で相撲中継をみているのだそうだ。
「じゃあ、いつの日か相撲を生で見れるといいですね。日本に是非にお越しください。」というと「そうだね、いつの日か来たいね」って応えてくれた。そうこうしている間にサグラダファミリアが目の前に壁のようにそびえ立っていた。「これがサグラダファミリアか、スゴイッ!!!」


日本人建築家?

華麗なステンドグラス
 あの世界的に有名な芸術家:ガウディによって100年以上前から作り始めて未だ完成を見ない偉大な建造物。これを前にして二人して口をあんぐりと空けていた。圧倒的なエネルギーでこれでもかと体の底からドーンと地響きを響かせてくるようなイメージを感じた。誰もが一度は行ってみたいと思う気持ちが分かるような気がした。もちろん写真を撮りまくった。もう全てが芸術品の塊なのだ。
 チケットを買って寺院の中に入る。やーまんが押してくれて中に入った。中もかなりデカイ。中は工事の真っ最中。工事が終わっている所を見学者は見て廻るという合理的な方法だった。壁一面にそびえ立つステンドグラスがまぶしかった。とにかく一つ一つが全部手作りの芸術作品。サグラダファミリアで装飾される一つ一つが自然にある、木や葉、果物、貝殻のらせん状のイメージからヒントを得て作られているものだと説明してあった。どうりで何百年もかかってしまうのかと納得。
 日本のような建物にはない、独特な建築概念がある。時を越えて伝わっていくような、偉大な芸術作品を彼らカタルニア人は残そうとしていることに羨ましさを感じた。中を見てまわって外に出ると地下に通じるスロープを見つけ実際、中に入っていった。誰がいつサグラダ・ファミリアを作るようになり、これほどまでに有名になったのか、ガウディの半生もパネル展示してあった。貴重な展示品の数々だった。また地上に戻ってエレベータのある場所に行った。ここからこの寺院にそびえ立つ数本の塔を身近に見れるのだ。最初は俺も乗ろうと順番待ちをしていたのだが、エレベータを操作するスタッフから「上にいっても降りたところから階段をひたすら昇らなくちゃ行けないので載せられない。」と応えてくれた。しょうがないので代わりにやーまんに見にいってもらうようにした。その間俺の方は出口附近のお土産専門店によってサグラダファミリア・グッズを眺めていた。
 おみやげ屋に行くと、2〜3年前スペイン語クラスで一緒だったユカからもらったガウディの伝記が置いてあった。”あーっ、ここで買ったんだな”と頭の中で思い出した。彼女は今どうしてるんだろうな?まだスペイン語を続けてるんだろうか?ホセもいくつか買い物を楽しんだ。
 そうこうしているうちに大体見てしまった俺達は、道を隔てた公園で無性に腹が減っていたので屋台のパン屋で腹ごしらえをした。ガウディの作ったグエル公園に行こうか食べながら考えたが、今回は行くのをあきらめた。

サグラダファミリアからみたバルセロナ市内
 明日のマドリッド行きの飛行機のチケットを買わなくては行けなかったし、サルサの踊れるバーも探したかったので、ランブラス通りに戻ってブラブラと散策した。南に下っていくとコロンブスの像がある大きなロータリー交差点にぶつかり、その先はもう港だった。目の前に見えている海は地中海。思わずカメラを取り出して記念撮影。
 この日は天気が良かったせいか、じりじりと日差しが強かった。段差も解消したバリアフリー構造で、車椅子でも自由に行き来することが出来た。岸壁ではカップルが抱き合いながら熱いキスをしあう。それだけならいいんだが男女のカップルだけとは限らない。同姓のカップルも愛を語りあっていた。でも彼らは人目など全然気にしない。この後もマドリッドでも男同士でキスをしあっている所を偶然見かけたり、まぁいろんな意味でオープンなんだなぁと納得。ホモ大歓迎の国みたいだ。


ランブラス通りで

絵を描きたくなる場所があちこちに
 明日のマドリッド行きの飛行機を買わなくては行けない。旅行代理店を探す。日本であれば2〜300mごとに何かそういった代理店があるものだが、一向に見当たらなかった。諦めかけた頃に右手のお店に”VIAJES IBERIAS”という看板が目に入った。
 ここに違いないと中に入った。ここで飛行機のチケットは買えるか?と聞いたら”Si!(OK)”と返事がきた。2時間近く探した挙句、やっと見つけ出した。店員は丁寧に説明してくれた。スペインでは朝の早い便と夜遅い便は安いと話してくれた。
 昼間は朝晩の1.5倍くらい。だったら一番遅いんでいいと話した。もちろん全てスペイン語での交渉となった。当然、飛行機の車椅子搭乗も手配してもらうようにお願いした。どうにか全て通じていたらしく2人分の飛行機のチケットを買うことが出来た。
 頭を使ったのでどっと疲れが出た。でも悩んでいたマドリッド行きの切符の手配が出来たことにひとつ自信がついた。夜にはリセウ通りのレストランでパエリアを堪能。ワインと共に楽しいひとときを過ごした。メシは少し硬かった。もう少し煮込んでくれればいいものをと少し惜しいような気がした。おなか一杯だったのでホテルの部屋に戻ったらバタン・キューだった。

 


 

 
戻る
2004.09.29
ルセロナ3日目、朝はランブラス通りのオープンテラスで朝食。フランスパンのスライスをガーリックとバターで味付け、さっとトーストしたものとスクランブルエッグとコーヒー。通りでは昨日と同じように絵描きがそこかしこで似顔絵や風景画を描いている。
 
 時々海から吹いてくる心地よい風を受けながら、少しづつ秋の景色に変わっていく木々を眺めながらゆっくりと過ごした。昨日、本で調べていた”MUSEU MARTIM(海洋博物館)”に行くことにした。

バルセロナ海洋博物館の入り口
 此処にはバルセロナの船に関する歴史が学べてもちろん大航海時代のころの貴重な資料もたくさん展示してあった。ありがたいことに日本語でのラジオガイドなんかもあって、日本人も説明が聞ける。中世ヨ―ロッパ時代の航海図や世界観、コロンブスの油絵、マゼランやアルマダの海戦の資料など世界史が大好きなホセには何ともいえないすばらしい時間が過ごせた。

中世時代の地図。新大陸は描かれてない。

内側は500年前から変わっていない

 なかでも圧巻なのは、資料館のなかに500年前に使っていた、ガレオン船を1隻そのまま展示しているのにはビックリした。もともとこの博物館があった敷地は、帆船を作っていた造船所跡地で今はそれを資料館にしているのだそうだ。どうりで天井の高さがものすごく高い訳だ。10m以上の高さはあっただろうか?
 別展示の「タイタニック展」も見た。あの映画にもなった、タイタニックの資料展だった。船や乗船していた人の人間模様、事件の説明など、すごく詳しく紹介してあった。ただ、説明がスペイン語と英語の説明しかないので、やーまんはつまらないといって早々と出て行ったようだ。

船一隻がすっぽりと入るドック跡
ここは400〜500年前は船を造っていた。
アルマダ海戦に使ったガレオン船を展示。

モンジュイックの丘で

窓がないロープウェイ!かなり揺れていた?
 近くを歩いているとモンジュイックの丘があると地図に書いてある。あそこに昇ろうか?と話し合う。ケーブルカーにのってそれからロープウェーで行けるようだ。そのためには乗り場があるところまで徒歩で移動。だが一度地下に下りなければならない。エレベータに乗ろうとするが故障している。他にはエレベータはないのかと故障に来た職員に聞く。う〜ん、それは無理だ。じゃ、どれくらいで治るかってきくとよく分からない。て返答してきた。タクシーにのって行った方が早いようだ。タクシーを拾って一路モンジュイック城まで行った。
 途中、バルセロナオリンピックスタジアムの前を通りすぎた。ここを日本のマラソン選手も走ったのだろうか?今はひっそりとしていた。そこを抜けてぐっと昇ったところがモンジュイック城。城に通じる橋を抜けて石垣で囲まれた歩道を昇る。右は歩行者。左は自動車。僕らは右をテクテクと昇っていった。結構、傾斜が大きかった。やーまんが押してくれた。上に上ってみると、バルセロナ市内が一望できる展望台があった。素晴らしい眺めだ。遠くには昨日行ったサグラダファミリアもある。それとなんといっても地中海が一望できる。

眼下にはバルセロナ港。その向うは地中海!!
 海風が強かったが、天気が良かったので遠くの山も見ることが出来た。石畳であるため下がゴツゴツしている。車椅子にはかなり難儀なところだ。まともにまっすぐ移動できない。ここでハプニング発生。右側のタイヤがパンクしていたのだ。さあ、どうしよう?パンクのことまで考えていなかったので、これからどうしようか。とりあえず自転車屋にいくしかないとやーまんに話した。
 まずは城を出てタクシーを拾うしかない。ただ日本と違って観光地にタクシーが止まっていないのだ。う〜ん、こまった。城の職員に聞くと、「あそこに公衆電話があるだろ、そこから電話してタクシーを呼べばいい」と話してくれた。
 「こっちにきて電話なんてしたことないのに、まっ電話してみるか?」104みたいな案内所に電話して早速タクシー会社に電話。モンジュイックまできてくれと頼むがなかなかきいてくれない。1時間は待つことになるがとか、うーん使えない。
しょうがない、あそこで話している白ひげのおじさんに頼むことにしようか?スペイン語で中心部まで送ってくれないかと交渉する。彼はさっぱりわからない。英語で話してみると返事がかえってきた。彼はドイツ人:ヴェルナーさんだった。

ヒッチハイクでお世話になったヴェルナーさん!
 隣町ののタラゴナに住んでいるそうだ。たまに休みのときにバルセロナに来るといっていた。事情を説明すると快く乗せてくれた。まさかヒッチハイクまでするとは...。彼はコロンブスの像まで送ってくれた。いやぁ、助かった。
 お礼をいいながら、彼と写真を撮った。ヴェルナーさん、本当にありがとう。そのあと自転車屋に行った。日本製で車椅子なのでちょっと無理かなと思ったが、職人は「一応やってみるよ」とOK。20分くらい待っただろうか?彼はパンクを治してくれた。「日本製なので、ちょっと大変だったよ。」といって車椅子を渡してくれた。MUCHAS GRACIAS。これで旅が続けられる。
 通りをでると大きな凱旋門(Arc de triomf)がある。公園ではスケボーやローラーブーツ?、犬を連れたお年寄りが散歩をしていた。もう夕方の7時なのにまだまだ明るい。さあ、ホテルに戻って預けていた荷物を取りに行かねばならない。9時には空港に行かねばならないからだ。
 ランブラス通りとリセウ通りが交差するところから、ブーケリアの細い通り沿いを通る。そこを100mほどいったところに、ホテルはある。もう場所は覚えた。次回来るときも利用しよう。ホテルの人に御礼を言って、空港に向かった。空港では予約していたせいか、すんなりと手続きが出来た。
 PM10:00にバルセロナ空港を離陸。とにかく眠かったので二人して眠ってしまった。マドリッドにはPM11:00に到着。ネットで予約していたホテルにチェックインしたのは、夜中の12時をまわっていた。すぐにねた。

凱旋門前の公園、その向こう側にBicicleta(自転車屋)。只今、午後7時。まだ明るい。